【私が母親になる瞬間】ランニングは私の支え
皆さん、ご機嫌いかがですか?ののです(#^.^#)
母親を辞めたこと
今、私は母親(正確には理想の母)を辞めた今の自分に納得しています。
ここに至るまで、いろんな事がありました。うつの手前「メンタル不調」の時期は本当に闇の中にいて、スマホで調べる言葉は「精神病」「精神科」「精神病院」ばかり。
私はこんなに一生懸命頑張ってるのに
私の言ってることは間違っていないのに
どうしてどうして、思い通りにいかないの
自分の理想の人間になりたくて、母親になりたくて、子どもに自分の理想通りに動いて欲しくて。出ない答えを求めて苦しんでいました。その中で唯一私を支えてくれていたのが「ランニング」です。「ランニング」がなければここまで立ち直れなかった。
原因は私の幼少期にあると思っていて、そこは話すと長くなります。
おかげで「脳科学」とか「心理学」とか「精神医学」という言葉を調べることが好きになってアウトプットに至ります。
納得している自分
私は今、自分を母親だと思っていません。
私のTwitterのツイートにあるように、私の家族は一個人だからです。
私も子どもも、主人も一個人。私が1番好きで1番大切な個人。
これは、メンタル不調の時に読んだ本↓
↑から得た知識です。
子どもは独立した個人。
— のの@ランニング大好き3児の母📪👧👦👦 (@PowerOfRun1149) 2018年1月2日
その上で、困った時はいつでも援助する用意がある、というメッセージを送っておく。
差し伸べれば手が届く、けれど相手の領域には踏み込まない。
そんな適度な距離を保つ事が大切。
たとえ我が子であっても、親の期待を満たす為に生きているのではない。#子育て
自分が母親をやめて「個人」になった時、とても心が軽くなりました。
世界が明るくなりました。「母親はこうでなくてはいけない」という自分の理想を捨てた時、自分でかけた呪縛から逃れることができました。
もちろん、社会的「母親」としての役目を果たす事は親として当たり前の事なので母親業は辞めてません。
今はとにかく、なりたい自分を目指して日々を過ごしています。
「基本からのラントレーニング」も「読書」も「アウトプット」も一個人として自己成長する為に動いている時間が楽しいです。
母親になる瞬間
母親ではないけれど、1日1回だけ「母親」になる瞬間があります。
それは、子どもが学校から帰ってきた瞬間。
自分が外に出ていて、先に子どもが帰ってきている時は自分が家に帰ってきた瞬間。
朝、子どもと別れてそれぞれの時間を過ごした後、家庭で顔を合わせる瞬間です。
この瞬間だけは、自分の全神経を集中させて「母親」としての五感が働くようにします。私の子どもは私のお腹に中にいました。一身でした。だから五感はあると信じてます。
五感を働かせて、子どもを観る
声の響き、トーン
声に張りはあるか、籠っていないか(疲れててテンションは低いです)
目の動き
目はしっかり合うか(一瞬でいい。かならず目を合わせます)
表情の自然な発露
表情の明るさ、特に笑顔に至るまで顔の筋肉の動き
(ぎこちなくはないか?スムーズに笑顔は作れているか?)
たまに、表情が心配な時があります。表情が硬いと声も響かないし目も合いません。
でもすぐには声はかけない。(心の整理をする時間が必要だから)
そんな日が3日続いたら声をかけようと決めてます。
「散歩しよっか」って言うと思います。話してくれなくても、そば居ることだけは伝えます。でも幸いな事に「散歩」にはまだ至っていません。
娘にはよく「お母さんって子どもに興味ないよね」って言われます。
母「失礼な!子どもを自由にさせてるって」って言って!
娘「うん、確かに自由だ。良かったと思う。」
これが正しいかは分かりません。でもこれで私は笑顔でいられて、子どもも笑顔でいてくれています。
理想どおりにはいかない事も出てくるだろうけど、子どもの力を信じて見守って行きたいです。
苦しまないで
苦しんでいる母(親)はいませんか?悩んで泣いている母(親)はいませんか?
どうか、苦しまないで「自分を生きる」を選択して欲しい。それは後ろめたいことでも恥じることでもありません。
時代が変わった今、「母」としての在り方も変わる時が来ていると思います。
在り方が変わったとしても、
母親としての五感だけは、今も昔も未来も変わらない。それを信じてみませんか?
私はこのブログを通して「母(親)としての在り方」の着地点を見つけたいと思っています。
チョキン、パチン、ストン
それでは皆さん、ご機嫌よう(*゚▽゚*)
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